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日韓併合の真実

ヘンドリック・ハメル(オランダ東インド会社社員)

「朝鮮人は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼らをあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼らにとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。」。

七奪の嘘お知らせ

いわるゆる「日帝三十六年の七奪」は韓国の戦後世代が、韓国統治時代の日本について、常に批判する時の言葉です。

七奪」とは、国土、主権、生命、土地、資源、国語、姓名の7つを日本が奪ったということを指します。

これが、日本を批判する為に誇張して言っているだけなら可愛いが、まったく逆のことを言っているからあきれて物も言えない。

しかも、この自分たちでついた嘘を韓国人たちは自分で信じているので、もう嘘を言っているという感覚さえなく、あきれることに本当に信じている人達が大半なので会話にすらならない。

まず、「
国土」を奪ったというが、そもそも李氏朝鮮王朝末期には韓国は財政破綻、国家破産に直面しており、海外への借金も多く、鉱山などの少ない資源まで売渡し、外交権まで売ろうとしていた国である。
そんな国を清国の朝鮮省編入の危機から救い出し、さらに清の属国から解放し、王族と重臣まで日本の華族として、地位を向上させたのが日韓併合である。
そして、国民のほとんどが賤民(奴婢、白丁)だった国を、身分差別を無くし、全員日本国民として迎え入れました。

これに不満を持っていたのは、当時貴族階級だった全国民の3%と言われる両班だけでした。

国土を日本に編入して、住んでる人を追い出したのであれば、奪ったと言われても仕方がないですが、それを出来る立場であったのに、そうしないで国民ごと自国民として迎え入れたのです。

これを奪ったと言っている韓国は、何を考えているか理解しがたい国です。

次に「
主権」を奪ったと言っていますが、そもそも19世紀まで日本や清国でさえ「半生の国」」と見做され、主権なんてほとんどありませんでした。日本は維新後、血と汗を流して初めて、不平等条約をすべて撤廃して主権を勝ち取ったのです。
朝鮮半島はと言うと、清国の属国として存在しており、日本が奪ったと言われる主権なんてものは存在していませんでした。

その朝鮮を日本とすることで、朝鮮人にも日本人と同じ主権を与えたのです。
属国にした訳ではありません。自国にしたのです。
イングランドがウェールズなどと合併したことや沖縄を日本にしたのと同じことで、自国にしたのです。

植民地などでは、支配国の人間が植民地の国民を殺しても罪に問われません。植民地民を人と見做していないからです。
しかし、日本はいつでも植民地に出来たのにわざわざ大量のお金をかけて、併合したのです。
もちろん日本人が朝鮮人を殺しても罪になりますし、朝鮮人が日本人を殺しても同じ罪でした。

奪ったというより全て与えたというのが正しい表現です。

3つ目は「
生命」ですが、日韓併合後、殖産興業による生産、生活の向上、医療衛生の普及により、コメの生産が倍増、朝鮮人の人口も倍増、寿命も倍に伸びています。
イングランドはアイルランドと合併した時は、アイルランド人の人口は3分の1にまで減っていることを考えると、日本の統治が如何に優れていたのかが分かる結果になっています。

食糧生産と人口と寿命が倍に伸びているのに、日本は一体誰の生命を奪ったというのでしょうか。



4つめは「土地」です。日本は朝鮮半島の有史以来初めて、朝鮮半島国土調査と国土開発計画を行います。

これを朝鮮半島で行ったのは、目賀田種太郎という明治時代に大活躍した超大物中の大物です。
朝鮮半島に関わったが為に、知る人が少ないほど歴史からまったく消えていますが・・・。

日本を代表するこの俊才は、財政再建の為に韓国に派遣されます。

そして、朝鮮半島内で公正な税制の基礎を固めるため、土地調査事業を開始します。

土地調査事業は土地の所有関係を明確にする、国家を近代化成すにあたって、避けて通れないものです。

このとき、土地の所有権については、第一に自己申告によるとしています。

ですから、ほとんどの土地は両班(朝鮮人の貴族階級)のものとなっています。

しかし、地方の農村部の土地などは、実際に耕作されているけれど、持ち主不明で、ただ両班(やんぱん)が時折来ては、農作物を勝手に持って行ってしまう、というところが多かった。

つまり、申告もなく、誰の土地かさえ分からない土地です。

そこでこうした持ち主不明の多くの土地(隠し田)は、朝鮮総督府によって没収し、その地を耕作している小作人に、ほとんどタダ同然で売却しています。

これによって、多くの常民(さんみん)が、地主となり、晴れて自分の土地で自分の家族のための作物を育て収穫することが公然と行えるようになったのです。

これを日本が土地を奪って、日本人に払い下げたと言っていますが、そのような事実は全くありません。

そもそも日本人が土地の開拓のために半島に渡ったのは、この土地調査事業の後のことであり、しかも日本人が開墾したのは、もともと田畑だったところではなく、荒れ地を農地に開墾しています。

土地を奪うどころか、朝鮮半島の民衆のために、資金だけでなく、当時の日本を代表する俊才を半島に送り込み、抜本的な国家の再建を図ったというのが事実です。

そして、出来た米も逆さや制で、市場価格は42円のところ、1943年の政府は64円50銭で買い取っています。
民衆から奪うのではなく、与えて豊かにしたのです。

5つ目が「
資源」です。これなんかは、何を指して行っているのかさえ分からないです。

日韓併合前に朝鮮半島の山々はすべて禿山と化し、地下資源も枯渇していました。
合併後、植林をはじめとする治山治水と殖産興業に力を入れ、産業化をすすめる一方、赤字だらけの地下資源の開発には、巨額の補充金、奨励金を投入しています。

植林だけでも1911年から終戦までで、5億9千万本です。これは、当時の朝鮮半島の人口一人当たり約25本にあたる数です。その他に、民間で約4億本と合計10億本という途方もない数の植樹を朝鮮半島に行っています。

資源がなかった朝鮮半島に、植林と言う大切な資源を残してきたのが日本です。その植林も、台湾と違い朝鮮半島では禿山になりつつありますが・・・。

6つ目が「
国語」です。これは笑ってしまう話です。
そもそも朝鮮半島の国字と言われているハングルは、「愚民の言語」として一部の婦女子しか使っていませんでした。
公文書はすべて漢文で書かれており、15世紀に李朝朝鮮の国王・世宋によってハングルが初めて作られた時から(アジアで最も遅い)、婦女子や無学な庶民が用いる文字として、支配層は全員漢字を用いていました。

第10代国王・燕山君はハングルで書かれた書物を全部焼いてしまいます。さらに1504年に、ハングルの学習を禁止します。誰かが、使用しているのを知って いながら告発しないような場合まで、罪となったのである。

そして、次代の国王・中宗は、1506年に即位するなり諺文庁までも閉鎖してしまい、つい にハングルは完全に廃止されます。

なので当然、朝鮮の新聞「朝鮮旬報」も全文漢字でした。

つまり国語の元となるハングルを馬鹿にして使わなかったのは朝鮮人自身であり、ほとんど使う人はいませんでした。。
そして、現在のハングルとは違い「文字」としての体系は整っていませんでした。

この埋もれていたハングルを発掘し、文法的にまとめたのが、福沢諭吉の門下生である井上角五郎や体系的に言語として完成させたのは金沢庄三郎と小倉進平の両博士を中心とする日本人学者たちです。

そして、学校が一つもなかった朝鮮半島に5200校もの学校を建て、ハングルを普及させます。


日韓併合時代に使っていた学校の教科書

奪えと言っても独自の歴史の蓄積が無い文化なのだから、奪えといわれても奪うものはあまりないのだが、奪ったとされている国語は、日本によって朝鮮人に教えたものだったのです。

最後に「
姓名」ですが、これも真逆で笑ってしまいます。

韓国人が姓名を奪ったとされる根拠は、有名な「創氏改名」のことです。

日本人は、強制的に朝鮮人から朝鮮式の名前を奪い、日本式の名前を名乗らせたというものです。

どこの国にわざわざ植民地に自国の名前を与える国があるのか聞いてみたいものですが、朝鮮半島は植民地ではなく、自国と扱ってきました。

朝鮮人はそれによって、世界にも通じる「日本国民」という称号を得るのですが、満州などでは名前を言えば朝鮮人であることが支那人にばれて、馬鹿にされ商売などが出来ないなどの弊害が起きていました。

満州の張作霖などは、「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と朝鮮人狩りなどが起こっており、満州にいた朝鮮人150万人は農奴に近い生活を強いられていました。

そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求します。

これを受けて、日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。

これが「改名」です。
つまり、強制ではなく「日本風の名前を名乗ることを許可する」というものです。

警務局は日本人と朝鮮人との識別ができなくなるという理由から、創氏改名に反対しています。

なので強制どころか、申請書類は「改名許可願書」と題され、また当時としては安くない1人50銭の有料で許可したのです。
「お金を払えば改名してもいいよ」というぐらいの感じです。
なので、朝鮮式の名前の朝鮮人が日本軍将校などにも沢山いるのは、名乗らなかった朝鮮人も沢山いたということです。

同じ様に語られますが、強制と言うのは「創氏」の方です。
これは「改氏」ではなく、「創氏」です。

姓を変えるのではなく、作って下さいというものです。

日本の統治まで、朝鮮半島は夫婦別姓で家族名という概念自体がありませんでした。

なので、戸籍を作る際に難しくなるので、作って下さいというものです。

これは、朝鮮に昔からあった同族名を名乗るのも認められていたので、そのまま金(キム)、や朴(パク)を姓にする人も多く居た。

なので、創氏は強制だったが、朝鮮式の同族名、姓を氏にするのを認められていたし、改名はやりたい人はお金を払ってやって下さいという申請を持ってのみ認められたというものです。

これらすべてを見ても、「日帝の七奪」はどう考えても、「日本の七恩」であり、嘘もここまで来るとすがすがしいものである。