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日韓併合の真実

ヘンドリック・ハメル(オランダ東インド会社社員)

「朝鮮人は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼らをあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼らにとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。」。

奪うどころか大赤字だった併合までの経緯

日本の朝鮮統治は、最初から最後まで赤字経営で行われます。

併合直後の1911年の朝鮮の年間総予算は3,565万円で、朝鮮内からの税収はわずか1,330万円です。たったの三分の一です。
足らない分はすべて日本から補充しました。

朝鮮統治の財政赤字は総額17億6657万円で、赤字分は全部日本本土からのお金で賄われています。

貿易収支は総額6億4700万円の赤字で、1900年頃からの、日本から朝鮮に投入された資本は80億ドルに上ると言われています。

日本からのお金で、朝鮮北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では資本主義的な商業が大きく発展し、米などの生産物は飛躍的な増産に成功します。


開拓・干拓・灌漑などの大規模な土地改良、鉄道・道路・架橋・航路・港湾等の交通設備や電信・電話等の通信設備の敷設、近代工場や大規模水力発電所の建設などが全土にわたって展開し、植林も総計10億本にのぼるものでした。

日本から朝鮮へお金が渡った為に日本の東北の開発が遅れたというのは良く言われる話です。

その他にも、朝鮮が欧米列強に売り渡した電灯・水道の経営権など様々な権利を日本は買い戻すのにお金を使っています。

お米についても日本の統治時代に奪われて飢餓に陥ったとよく言われます。
しかし、調べてみると日本のインフラ建設と農業改革によって、コメの増産が10数倍に膨れ上がり、日本はそのお米を逆ザヤ、つまり市場価格より高い値段で買っていました。

なので朝鮮には、日本へのコメ輸出で財を成した大金持ちが続々と現れていました。

そして朝鮮自身は、比較的安く米を売っていた台湾から輸入しているという状態でした。

その他にも日本から朝鮮へ米を出していたことも記録に残っています。


日本から朝鮮へ米を送っていたという当時の記事


諏訪産の玄米2千石を朝鮮に送ったという記事
奪ったなんてとんでもない話で、日韓併合36年間において常に与え続けていたのが真実なのである。